ジャーナル
2025.08.25

秋の田んぼに立つと、黄金色の稲穂が一斉に風に揺れ、さざ波のように広がっていきます。船方農場でも、いよいよ稲刈りの季節がやってきました。農場の一年の歩みを刻む節目であり、私たちにとっては「収穫」以上の意味を持つ時間です。
稲刈りは、米を刈り取る作業であると同時に、牛や人、そして地域をつなぐ循環のはじまりでもあります。

船方農場では、用途に応じて異なる稲を育てています。
ひとつは、家庭の食卓にそのまま届けられる主食用の米。
もうひとつは、美祢市にある大嶺酒造さんへと渡り、日本酒へと生まれ変わる酒米。私たちが育てた米が、地域の風土を映すお酒に変わっていく。その過程を思うと、田んぼに立つ時間は、未来の酒蔵の景色ともつながっているように感じられます。
そして酪農を営む私たちにとって欠かせないのが飼料用の稲です。刈り取った稲はそのままではなく、乳酸発酵させてWCS(ホールクロップサイレージ)に加工されます。稲の茎や葉、穂まで丸ごとを餌にすることで、牛にとってバランスの良い栄養源となり、健康な体づくりを支えてくれます。

さらに、稲刈りのあとに残る稲わらも大切な資源です。牛舎では餌として役立つだけでなく、敷料として牛の寝床を守り、快適な暮らしを支えます。そして最終的には堆肥として田んぼに戻り、翌年の稲を育てる土を豊かにするのです。

こうしてみると、米は単に「食べるため」だけのものではないことがわかります。食卓に並ぶお米、日本酒として嗜まれる一杯、牛乳やバターの味を形づくる飼料、そして田んぼを肥やす堆肥――すべてがひとつの環の中に含まれています。
私たちが田んぼで稲を育てることは、牛を育てることと同義です。そして牛を育てることは、また次の稲を育てることに直結しています。稲と牛、土と水、人と地域。そのどれもが切り離せない関係にあり、互いに支え合うことで農場の風景が成り立っているのです。
稲刈りをしていると、ふと「日本人と稲」の長い歴史を思わされます。ここで少し、昔から伝わる稲作の言い伝えを紹介します。
• お米一粒に七人の神様
昔から「お米一粒には七人の神様がいる」と言われ、ご飯を粗末にしないよう子どもたちに伝えられてきました。稲作の苦労を忘れず、食べ物に感謝する心を育てるための言葉です。
• 田の神様と早乙女
田植えの季節には「田の神様」が降りてくるとされ、苗を植える女性は「早乙女(さおとめ)」と呼ばれました。歌や踊りを交えて田の神を迎える行事は、今も各地に残っています。
• 稲穂としめ縄
刈り取った稲や藁は神社のしめ縄や正月飾りとなり、食と信仰を結ぶ素材でもありました。稲作は暮らしと祈りを同時に形づくってきたのです。
こうした言い伝えに目を向けると、目の前の田んぼは単なる農場の風景ではなく、ずっと昔から人と稲が紡いできた物語の延長にあることを感じられます。

今年も無事に稲刈りを迎えられたことは、決して当たり前ではありません。春の田植えから夏の管理、そして秋の収穫まで、天候や病害虫との駆け引きを経て、ようやく手にする実りです。その一束一束が、来年の牛乳や日本酒、そしてまた次の稲作へと続いていきます。
稲を刈り取るその瞬間、私たちは「食べる」という日常の先にある広がりを思い描きます。田んぼと牛舎のあいだに張られた見えない糸を感じながら、来年に向けて新しい循環がまた始まっていくのです。

祖父や父が向き合ってきた農業と、そこに込めた未来への熱量に惹かれ、工学部を中退。
酪農の専門大学を卒業後、船方農場へ。
現在は酪農と情報発信を担当。趣味はカメラ。
農業は、もっとも手ざわりのあるクリエイティブだと思っている。