ジャーナル
2025.10.14

こんにちは、船方農場です。
秋も深まり、山の稜線がくっきりと浮かぶ季節になりました。
阿東の空気が少し冷たくなりはじめるこの時期、
私たちの田んぼでは「もうひとつの秋の仕事」が始まります。
秋の風が少し冷たくなり始めたころ、阿東の空は高く澄み渡り、
山々の稜線がくっきりと見える季節になりました。
この時期、農場では稲刈りを終えた田んぼで、もうひとつの大切な作業が始まります。
それが「稲わらのロールづくり」です。
稲刈りが終わったあとの田んぼは、どこか静かで、
一仕事を終えたような安堵の空気に包まれています。
けれど私たちにとっては、そこが次の“命の準備”の出発点。
稲の茎──稲わら──を乾かし、丸く束ね、冬の牛たちのエサとして形にしていく。
季節のリレーのように、次の命へとバトンを渡すための作業です。

まず動かすのは テッダー。
これは、刈り取った稲わらを“天地返し”するように反転させる機械です。
朝露がまだ残る時間に田んぼに出ると、
テッダーの羽が大きく回り、乾いたわらをふわりと舞い上げます。
くるくると回る羽根の音、風を切る音、そして稲わらの香り。
太陽の光を浴びながら舞うわらが、
空気の中でキラキラと光る瞬間があります。
その光景を見るたびに、「あぁ、秋だな」と感じます。
稲刈りが終わっても、まだこの土地の“呼吸”は続いている。
テッダーが回るたび、
田んぼの空気が新しく入れ替わっていくような感覚になります。

次に登場するのは ロールベーラー。
反転して乾いた稲わらを集め、くるくると丸く束ねていく機械です。
その動きは見ていて気持ちがいいほど滑らかで、
あっという間にひとつの大きなロールができあがります。
ロールの中には、太陽と風の力がぎゅっと詰まっている。
ひとつのロールを仕上げるたび、
どこか達成感に似た静かな充実を感じます。
昔は人の手でわらを束ねていたと聞きます。
腰を曲げ、両手で束ね、縄でくくる。
いまではロールベーラーがその役割を担っているけれど、
わらを大切に扱う気持ちは、昔の人たちと変わりません。
効率だけでなく、「命を包み込む」という感覚。
機械を通していても、その気持ちは手のひらから伝わってきます。

そして最後に待っているのが ラッピングマシン。
ロールに白いフィルムを巻きつけ、
雨や湿気から守るように丁寧に包んでいく機械です。
フィルムが巻かれるたびに、
光を反射して白く輝くロールが次々に並んでいく。
遠くから見ると、まるで冬の雪玉が
田んぼに静かに並んでいるようです。
白いロールたちは、
これから冬を越えて牛たちのエサになります。
そして牛が食べ、その糞が堆肥となり、
春にはまたこの田んぼに戻ってくる。
この一連の作業の中には、
“命がめぐる”という当たり前のリズムが息づいています。
テッダーも、ロールベーラーも、ラッピングマシンも、
それぞれが正確に動いてくれます。
けれども、どれも「人の感覚」で支えられています。
わらの乾き具合、湿り気の残り、
巻きの強さ、フィルムの重ね具合──
数字では表せない判断の積み重ねです。
その日、その風、その太陽の光。
自然の“機嫌”を感じながら、最適なタイミングを探していく。
そういう意味では、どんな機械も、
結局は「人の手の延長」にすぎません。

夕方、作業を終えてトラクターのエンジンを止めると、
風の音と虫の声だけが残ります。
オレンジ色の光の中に並んだ白いロール。
その姿を眺めていると、
まるで田んぼがひと息ついているように感じます。
土の匂い、稲わらの香り、
遠くで鳴くカラスの声。
ここで働くというのは、
自然の中で「命の音」を聞くことなんだと思います。

稲わらのロールが並んだ田んぼを見つめながら、
毎年この作業を終えるたびに感じることがあります。
それは、稲と牛の関係は、ただの「農業の仕組み」ではなく、命のバトンリレーのようなものだということ。
私たちが今日ロールにした稲わらは、
これから冬の間、牛たちの体を支えるエサになります。
牛がそのわらを食べ、やがて糞となり、堆肥になり、
春には再び田んぼの土へと還る。
そして、その堆肥で育った稲がまた新しいわらを生み出す。
──そうして田んぼと牧場のあいだで、
命はゆっくりとめぐり続けているのです。
祖父・坂本多旦が口ぐせのように言っていた言葉です。
若いころは、その言葉の意味を
「農業をちゃんとやれ」という叱咤くらいにしか思っていませんでした。
でも、今になってようやくわかります。
あの言葉には、もっと深い意味があったのだと。
“米を作る”というのは、
人が食べるものを育てること。
“牛を飼う”というのは、
田んぼの恵みを受け取り、
その命を次の恵みへとつなぐ存在を育むこと。
つまり、米と牛は対の存在であり、
自然と人のあいだを結ぶ橋のようなものだったのです。

昔の農家の暮らしを思い浮かべると、
そこには“無駄”という言葉がありませんでした。
稲わらは、牛のエサにもなり、寝床にもなり、
屋根を葺き、縄をない、
時には燃料にも使われました。
牛が食べたわらは糞になり、堆肥として田んぼに返る。
田んぼのわらを牛が食べ、
その牛がまた田んぼを豊かにする。
それは、自然と人とのあいだに
絶え間なくめぐっていた“命のリズム”でした。
祖父の世代にとって、それは“生活の知恵”であり、
私たちの世代にとっては“未来のヒント”です。
近年、耕畜連携や資源循環という言葉がよく聞かれるようになりました。
けれど、それは新しい発想ではなく、
もともと日本の農村に根づいていた考え方です。
田んぼと牧場が互いに支え合い、
地域全体で命を循環させていく。
たとえば、稲わらを運ぶトラックのエンジン音を聞くたびに思うのです。
「この音は、昔の“人の手の仕事”の延長線上にあるんだ」と。
手で束ね、縄でくくっていた仕事が、
今はロールベーラーやラッピングマシンに姿を変えている。
けれど、その根っこにある精神は何ひとつ変わっていません。
“あるものを活かし、無駄にせず、次の命につなぐ”
それが、私たちの農業の原点です。

牛たちは言葉を話さないけれど、
日々の姿の中で多くのことを教えてくれます。
寒い朝、稲わらの上でゆっくりと反芻する姿。
その背中から立ち上がる白い息。
「このわらが、確かに命を支えているんだな」と感じる瞬間です。
牛が生きることは、土が生きることでもあり、
土が生きることは、次の稲が育つことでもある。
そう思うと、私たちが日々している仕事は、
“命の循環をつなぐ仕事”そのものなんだと感じます。
昔の人たちは、言葉ではなく、暮らしの中でそれを教えてくれました。
だからこそ、私たちはその知恵を“新しいかたち”で残していきたい。
テッダーやロールベーラーの音が鳴るこの季節に、
改めて感じるのは、技術の進化の裏にある“変わらない想い”です。
「命はひとりでは生きていけない」
その当たり前のことを、
私たちは稲と牛と、この土地から毎年教わっています。
夕方の田んぼは、昼間の喧騒が嘘のように静かです。
テッダーの回転音も、ロールベーラーの唸りも止まり、
辺りには風の音と、虫の声だけが残っています。
金色の稲株が低い光を受けて淡く輝き、
白くラッピングされた稲わらロールが、
その光を映し返すように並んでいる。
一日の仕事を終えた田んぼの空気は、どこか柔らかく、
まるで大地そのものが「おつかれさま」と言っているようです。
阿東のこの土地には、四季のリズムがあります。
春は田植え、夏は放牧、秋は収穫、冬は静かな眠り。
どの季節にも役割があり、
そのつながりの中で農場の一年がまわっていきます。
稲を育て、牛を飼い、堆肥を戻す。
自然のサイクルと、人の暮らしのサイクルが
重なり合うようにして、阿東の風景ができています。
だから、稲わらロールが並ぶ光景を見ると、
ただの“作業のあと”には見えません。
それは、土地の息づかいが形になったもの。
稲と牛、土と人、季節と命──
すべてが穏やかにめぐっている証なのです。
近くで見ると、ロールには泥が少しついていたり、
フィルムが風に揺れて小さくきらめいていたりします。
どれもが、今日ここで働いた人たちの「手の跡」です。
トラクターを操る人、フィルムを巻く人、積み上げる人。
それぞれの手が触れ、汗が染み込み、
一つの風景がつくられていく。
どんなに機械化が進んでも、
最後の判断を下すのは人です。
空を見上げ、風の匂いを嗅ぎ、
「今日がいい」と決めるのは、いつも人の感覚。
だからこそ、この風景には“温度”があります。
無機質な作業ではなく、
人の暮らしと自然が折り重なって生まれる風景。
その温かさを、阿東という土地はちゃんと覚えてくれています。
作業を終えてトラクターを止め、
ふと息をつく瞬間があります。
夕焼けの空が群青に変わり、
山の端が静かに闇へ沈んでいく。
白いロールたちは、
その薄明かりの中でぼんやりと光をまとい、
まるで月のように静かにそこに佇んでいます。
その光景を眺めながら、いつも思うのです。
この仕事は、誰かが「つくって終わり」ではない。
次の季節へ、次の世代へ、
ゆっくりと受け渡されていくものなのだと。
わたしたちがいま向き合っている田んぼは、
祖父たちが守ってきた土地であり、
その先には、これから生きる人たちの未来がつながっています。
阿東という場所は、決して派手ではありません。
けれど、ここには確かな命の循環があります。
朝露に光る稲の葉、
風にそよぐ牧草、
牛たちの穏やかなまなざし、
そして夕暮れの田んぼに並ぶ白いロール。
その一つひとつが、この土地の“呼吸”であり、
私たちの暮らしの一部です。
農業は、自然と人のあいだで
「生かされていること」を感じさせてくれます。
そして、そのことを教えてくれるのが、
今日のような一日なのだと思います。

秋の終わり。
稲わらロールが並ぶ田んぼの上には、
ひときわ澄んだ星空が広がっていました。
風の匂いが変わり、季節は冬へと向かいます。
けれどその下では、すでに次の命の準備が始まっています。
今年もまた、こうして「命のめぐり」を確かめながら、
私たちはこの土地と共に生きていきます。

祖父や父が向き合ってきた農業と、そこに込めた未来への熱量に惹かれ、工学部を中退。
酪農の専門大学を卒業後、船方農場へ。
現在は酪農と情報発信を担当。趣味はカメラ。
農業は、もっとも手ざわりのあるクリエイティブだと思っている。