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ジャーナル

2025.09.22

船方農場の歩みと未来 part3

第3回:交流と6次産業化 ─ 消費者と歩む農業へ

※この記事は「船方農場の歩みと未来」をテーマにした全5回連載の第3回です。
(第1回では農場の誕生、第2回では地域に支えられた耕畜連携の物語を紹介しました)


消費者とつながる必要性

耕畜連携によって地域と強く結びついた船方農場。
しかし、農業を取り巻く環境は大きく変わり始めていました。

海外から安価な農産物が次々と入ってくる。
乳価は下がり、環境対策には莫大な費用がかかる。

「これからは地域だけでなく、消費者ともつながらなければ農業は続かない」
祖父・坂本多旦はそう考えるようになりました。


牧場にやってきた親子連れ

当時の牧場は、トラックが行き交い、牛舎では休む間もなく作業が続く「生産の現場」でした。
そこへ時折、弁当を持った親子連れが迷い込み、牧場の草地に腰を下ろして遊ぶ姿が見られるようになりました。

「危ないから入ってはいけない」──最初は追い返していました。
けれど、ある社員がこう提案しました。
「むしろ消費者に入ってきてもらってはどうでしょうか」

常識からすれば無謀な案。けれど祖父はそこに可能性を感じ取ります。
「食べ物を作るだけではなく、その現場を見てもらうことに価値があるかもしれない」


0円リゾートの始まり

1985年、船方農場は思い切って消費者を招くイベントを開催しました。
JAと協力し、県内から250組もの親子を牧場に迎え入れたのです。

広大な草地を駆け回る子どもたち。泥だらけになって笑う姿を見て、親たちも楽しそうに声をあげる。
「土に触れるのは半年ぶりです」と話す母親の言葉に、祖父は衝撃を受けたといいます。

農業は食料を生産するだけではない。人を癒やし、喜ばせる力を持っている。
そう気づいた祖父は、牧場を「0円リゾート」と名付け、無料で開放することを決断しました。


支えられて続いた交流

もちろん、順調ばかりではありませんでした。
無断駐車やマナー違反もあり、「やはり閉鎖すべきでは」という声が上がったこともあります。

それでも続けられたのは、消費者の声があったからです。
「やめないでほしい」
「子どもと一緒に過ごせる大切な場所なんです」

その声が、農場を支える大きな力となりました。地域に支えられた船方農場は、今度は消費者の存在に背中を押されて歩みを続けていったのです。


みるくたうんの誕生

やがて来場者から「牛乳を買って帰りたい」「ここで育った牛のお肉を食べたい」という声が届くようになります。
けれど当時の農場には加工施設がなく、その願いに応えることはできませんでした。

そこで1990年、食品加工会社「みるくたうん」を設立。
特筆すべきは、その資金の一部を消費者が出資したことでした。

数百人もの人々が株主となり、農業者と消費者が一緒に会社をつくったのです。
祖父は「消費者が出資してくれた農業法人なんて、日本で初めてだったかもしれない」と振り返っています。

牧場内で加工された牛乳やヨーグルト、ハムやソーセージ。
直営の売店や宅配を通じて、「顔の見える農業」が実現しました。


6次産業化の先駆けとして

生産(一次産業)、加工(二次産業)、販売・交流(三次産業)を組み合わせた「6次産業化」。
今では当たり前に語られる言葉ですが、当時の船方農場はその先駆けでした。

市販品より少し高くても、消費者は選んでくれました。
「ここで作られたものだから」
「顔が見えるから安心できる」

価格ではなく信頼で選ばれる関係が育ち、農場は新しい形の経営を確立していきました。


消費者と共に歩む農業へ

大規模経営を夢見て始まった船方農場は、時を経て消費者と共に歩む農場へと姿を変えました。

「農業は農家だけのものではない。地域と、そして消費者と一緒に続けていくものだ」

その言葉の裏には、地域や消費者に支えられてきた深い実感と感謝が込められています。


▶ 次回予告
第4回では、半世紀にわたる歩みの先に描かれた「命の里構想」をご紹介します。
阿東地域をまるごとひとつの農場と見立て、人と自然と命がめぐる未来を築こうという挑戦です。