ジャーナル
2025.06.10
それは、たった四文字の言葉からはじまりました。
「命の里」。
50年前、船方農場の初代理事長・坂本多旦の手帳に、そう記されていたのです。
その言葉のまわりには、説明も、解説も、願いのような文章すらありませんでした。
ただ、その四文字だけが、しずかにページの中央に置かれていた。
誰のためでもなく、未来の誰かに向けて書かれたでもなく、
ただ“自分自身に対する灯”のように、その言葉はありました。
それから50年。
あの言葉が何を意味していたのか。
答えは、まだはっきりとはわかりません。
けれど、その曖昧さごと受けとめながら、いま、わたしたちは、
もう一度「命の里」という風景を育てなおそうとしています。
それが、「命の里構想2025」です。
わたしたちは、商品やコンテンツを通して、
“消費される関係”をつくるのではなく、
“育て合う関係”をつくりたいのです。
たとえば牛乳を届けるとき、
ただ「飲んでください」ではなく、
「いま、放牧地にこんな風が吹いています」と一言添えたくなる。
たとえばプリンを受け取った方が、
その味の奥にある“誰かの手間と時間”に自然と想いを馳せてくれるような、
そんな流れを生みたい。
いま、農場にあるものの多くは、すぐには売りものにならないものばかりです。
ゆっくり育つ草、反芻する牛、土の呼吸。
そして、それらを眺めているわたしたちの目線や声。
でも、わたしたちは信じています。
それらこそが「命の里」という風景の根幹なのだと。
風景とは、目に映るものだけを指す言葉ではありません。
時間の流れ、沈黙、営みの連なり。
そして、そこにいる人々のまなざしの方向までを含めたもの。
いま、船方農場が本当に耕したいのは「土地」ではなく、
“関係性”という、見えない地層かもしれません。
それは、
商品を買ってくれるお客様との関係でもあり、
農場の牛や草との関係でもあり、
この阿東という土地との関係でもあります。
わたしたちが草を刈るとき、
風を感じるとき、
ラジオで話すとき、
SNSで一言を綴るとき。
そこには、すべて「関係性の育成」という手つきが宿っています。
大量生産、大量消費の仕組みに巻き込まれず、
「顔の見える農場」として歩んできた船方農場ですが、
この土地に生まれ、この仕事を受け継ぐなかで、私たちは気づきました。
ただ“つくる”だけでは、未来にはつながらないということ。
どれほど美味しい牛乳をつくっても、
どれほど丁寧に放牧をしても、
それだけでは「風景」は伝わらない。
だから、わたしたちは声を出します。
だから、写真を撮り、言葉を綴り、ラジオを配信します。
それは、消費されるための情報ではなく、関係性の火を絶やさないための灯りです。
そしてこの構想の一番の目的は、
“未来の世代に、この風景ごと手渡すこと”にあります。
この構想は、農場だけで完結するものではありません。
定期便を受け取ってくれる方、
SNSを見てくださる方、
ラジオを聴いてくださる方、
あるいは、ただこの土地の近くを通り過ぎる方。
そのすべての人が、命の里という時間の中を、一緒に歩いている仲間だと考えています。
ですから、お願いがあります。
あなたのまわりの風景のなかで、
「これはちょっと、命の里っぽいな」と思う瞬間があったら、
ぜひ教えてください。
牛乳の瓶がきらりと光った朝。
牛の写真を見て、心がふっとほどけた昼下がり。
そんな些細な時間が、命の里の地図を少しずつ広げていくのです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
わたしたちが毎日向き合っている風景のかけらが、
ほんの少しでも、あなたの暮らしに届いたのなら嬉しく思います。
そして、これからもこの構想を、言葉と声と風景を通して育てていきます。
どうか、見守ってください。
ときには、声をかけてください。
そして、あなたの風景も、少しだけ分けてください。
命の里は、すでにどこかで、あなたとつながっているのかもしれません。
船方農場
坂本 雄也